夜行性の人間が増えている理由

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みなさんお久しぶりです!モリタユウスケです!
公私ともに少しバタバタしてしまい、更新が滞ってしまいましたね。。

 

それでも今日はちょっと朝からどんよりした気持ちです。
色々考えてしまって。。。という感じです。

 

ちょっと仕事もプライベートでもうまくいかないことが続き、さらには朝見た景色や出来事でちょっと心が疲れ気味です。
そんな中感じたことがありましたので、ここに残しておければと。。

 

今回は文章のみです。

ちょっと画像を並べるような雰囲気でもないので、、、


僕は中央線ユーザーなのですが、本日の朝、八王子駅で人身事故があったそうです。
人身事故自体は悲しいことにそんなに珍しいようなことではなくなってしまっていますが、
ツイッターで見た情報にこんなものがありました。

 

僕はこれを見てとても不愉快な気持ちになりました。
そもそも「何」を撮っているのだろう?
どんな気持ちでそういった行動に出ているのだろう?

 

もう怒りとかそういう感情は沸き起こらず、ただただ本当に理解出来ない、
とても悲しい、、、寂しい気持ちになりました。

 

非日常の空間の特別さがそうさせるんですか?
普段刺激が足りないから、刺激があった記念ですか?
その写真どうするの?
誰かにシェアするの?

 

そう思っていると飛び込んできたのは
「人身事故があったっていうから動画とか画像とかあがっているかと思ったらなかった」
とのツイート。

 

探してるんですか?
わざわざ?
なんで?

 

恐れずに言葉を言わせていただくのであれば、
「この世界は狂ってるな」
そう思いました。

 

そんな時思ったのは、ツイッターも一般的なテレビやラジオなどのマスメディアも、
なんて悲しい、ネガティブな世界なんだろうということでした。

 

360度どこを見渡しても悲しい世界に溢れてる。
中にはもちろん幸せに溢れたものもあるが、愚痴不満、悲しいニュース。
なんて暗い世界なのか。

 

そもそもSNSの発端はハッピーなものをシェアするということが目的ではないのだろうか?
愚痴の吐き捨て場と化してはいないだろうか?

 

ダメとは言わない。
現実世界の周りに話を聞いてくれる人がいないのであれば、
気軽に繋がれる友達を作れるSNSはとても有効な手段だ。

 

でもあえて悲しみを蔓延させているようにも思えるんです。
あたかも「ネガティブ思考主義」が地に足つけて、現実的に生きている正しい人間だと言わんばかりに。

 

僕も昔、夢や希望に溢れた曲や、映画などといった類は得意ではありませんでした。
それは、この世にはそういったポジティブなものしかないんだよ!というような偏ったメッセージを感じたからです。
現実はそんな甘くない。。。そういった思いから、苦手意識があったんだと思います。

 

しかし今はネガティブに偏りすぎている気がします。

 

体を作る栄養に偏りがあると体調を崩すように、
ポジティブ、ネガティブのバランスもどちらかに偏りすぎてはダメなんだと思います。

 

そもそも人生においての「良いこと」「悪いこと」というものは
勝手に人間が意味付けしているだけのものであって、
出来事自体は良いも悪いもない、ただ単に一つの「事実」にすぎません。

 

自分にとってはそれが良いことなのか悪いことなのかのカテゴライズはされることと思いますが、
何がどうあれ、ただただ起こったこと、、、です。
それに対してはどんな風な捉え方も出来るもんなんです。

 

何か一つ出来事が起こった場合、あとはそれをどういう角度で見るかだと思います。

 

同じ食材を渡しても、出来上がり料理はその人の考え方次第のように、
その事実をどう受け取るかだと思います。

 

要は今この世の中、結局ネガティブを追い求めてる人が多いんだなということ。
明るい光を目指しているフリをして、見えている光に対して、遮光し、自分たちで暗闇に集まっていっている気がしてなりません。

 

人生明るいことばかりじゃないでしょう。
しかし、暗いことばかりでもありません。

 

きっとあなたはネガティブな意見があふれることを祈っているのかもしれませんが、
そうはさせません。
いやでも太陽は登ります。

 

あなたが暗い世界に居たくても、ポジティブな言葉が嫌いでも、
人生において必ず良いことは起きます。

 

それを認めないといけないです。

 

。。。。あれ?
ネガティブな言葉とポジティブな言葉の立ち位置がおかしくありません?

ポジティブは毛嫌いされるものでしたっけ?

 

あなたはこの流れをどう見ますか?

凝り固まった思想の危険性〜人付き合いの考え方〜

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こんにちわ!モリタです!

 

とてもとても興味深い記事でした。

headlines.yahoo.co.jp

 

自分も同じように思っていた時期を経て、着地点は蛭子さんとは異なる地点に着地しました。
今回はこのことについて話していこうかと思います。


凝り固まった思想の危険性

この記事のインタビュアーの方も、蛭子さんの度重なる「友達」という存在へのネガティブな発言に難色を示しています。
それはきっと「友達」という言葉に対して眩い光を感じているからだと思います。

 

小さい頃から様々なシーンで友達は素晴らしいと教えられているので仕方ないことだと思います。
大変の人が「友達」や「友情」についてネガティブなことを言うと、否定的な感情を持つと思います。

 

そもそも友情という定義が異なっているということも考えられますが、
それでも僕は盲目的に友情や愛情を素晴らしいものと言い張ることは嫌いです。

 

良い要素ばかりを集めての友情なんでしょうが、それは輝かしい舞台スターが見せる舞台上での表情のように、
輝かしい部分だけをピックアップしているだけに過ぎない気がしてます。

 

その輝かしい目的地に身を置くことが出来た人は友情は素晴らしいと心から言えるでしょう。
ですがみんながみんなそんなにうまくいくわけではないです。
きっと途中で挫折して、それでももがいて自分の居場所を探して。
それに対して「もっと友達を作りなさい」なんて言葉は無慈悲にもほどがあるんじゃないかと。

 

多分、、蛭子さんも途中で諦めてしまったんじゃないでしょうか?
最初は友情という輝かしいものを手に入れようとしてたと思いますが、それはただ一部に過ぎない姿なんだと。

 

そもそも「公式」がおかしい

友達100人できるかな」という歌もあるくらいですから、
友達は多い方が良いという考え方は昔からあるのだと思います。
それはもちろん良いこともたくさんあるでしょう。

ですが、
友達少ない=可哀想な人
っていう公式はそもそも違いますよね?

 

この公式を押し付けてくるような思想は僕は大嫌いです。

 

散々言っていますが、この世には色々な人がいます。
色々な意見があって良いと思います。

 

深い付き合いはしない
こう蛭子さんがおっしゃってますが、とてもよくわかります。
友達は少なからずこんな僕にもいますが、
友達といることはそれなりに疲れます。

 

そもそもですが自分は恋人や家族も含め、だれかがいると気を使ってしまい疲れちゃうんです。
だから嫌だとか、ストレスとかそういうのではなく、単にそういう性格なんだと思います。

 

それで、なんでそうなったかっていうと、
自分も小学生の頃、いじめ。。。ではないですが、いじられる方でした。
いわゆるガキ大将とは真逆の人間だったもので、
いじられる方が多かったですね。

 

それが嫌だったんです。
冗談で叩いてくるとかも嫌だったんです。
でも怒るのも面倒でした。
たどり着いた結果が「笑う」でした。

 

でも笑ってるからどんどんエスカレートしていくんですよね。

 

結果的に学校が大嫌いになりました。
勉強がとかではなく、人付き合いが面倒で。

 

それからしばらくは人間嫌いになるわけですがw

 

なので蛭子さんの言っていることはとてもわかりますし、一種の立ち振る舞い方としてありだと思います。
どこか諦めたように、冷めたように言葉を紡いでる姿は、とてもあの柔和な姿からは想像出来ないほどの、圧倒的な諦めを感じます。
でもきっと自分の場所を確保できたんだなって思うと、やはりそれは一人の人間の出した答えなんだなって。
そう思いました。


ターニングポイントで大きく変わる

そんな人間嫌いのまま小・中学生を過ごした僕ですが。
現在は割と人付き合いを重視しています。

 

ありがたいことにそれなりに慕ってもらえるような環境になりました。

 

僕を人間嫌いから救ってくれたのは大学時代の友人たちです。

 

12人ほどの友人グループがあり、自分もその中の一人でした。
一緒にフットサルをしたり、飲んでみたり。
しかし一番印象的だったのは引きこもりになってしまった友人を一生懸命助け出そうとしている姿でした。
その引きこもってしまった友人はグループの中の一人。

 

よく漫画やテレビ、音楽で友情や愛情の尊さを声高に歌っていますが、
全然響かなく、冷めた目で見ていたくらいの僕ですが、
この姿に衝撃を受けました。
本当にこんなことがこの世の中にあるのかとw

 

すごいね、、、純粋な奴らだったんですよ。
どんなにクサイこととかでも、おおマジな顔で言ってるような。
そんな奴らなんです。

 

僕は小さい頃から、、その、、、クサイ事をいう節があったんですが、
それをいうとバカにされてまして、それが嫌だったんですよw
だってこっちは真剣に話してるわけですよ?
その表現が一生懸命考えた結果バカにされるんですよ?
親にも。
「あ、自分は普通じゃないんだな」って子供心に思いました。

 

でもそれを平然とやっている仲間がいるんです。

 

そんな環境に出会えて、僕はだんだんと心の氷が溶けていくのを感じました。
本当に、心から楽しく笑える時が来たんです。

 

その時からですね。
僕が人を信用する心を持ったのは。

 

息苦しかったんですよ、人を信じることに。
信じすぎても「お人よし」、警戒心を持ってみたら「もっと信用しろ」
そんなうまいバランスをみんながみんな保てるわけないですって。

 

そういう意味も込めて、
着地点は違えど、蛭子さんの提唱する思想も、
一つの考え方としてとても理解できる、また多くの人に知ってもらいたい考え方だなって。
そう思いました。

 

まとめ

友情・愛情というものは尊いものではありますが、人生において一番必要なものではないと思ってます。
そもそも人生には全てが必要なので、何が一番とかは決められないと思っているわけですが。
でもその中で何を取捨選択していくかということに正解はないと思います。

 

他人の意見は一種の判断材料として持っておき、
自分の一番過ごしやすい生き方を選べるということが1番なんでしょう、きっと。

 

誰かの提唱する正解・不正解は自分にとっても全く同じとは限らないので、
臆することなく、自分のスタイルというものを確立していってください。

 

 

 

。。。。。人に迷惑はかけちゃダメですよ?w
それは不正解なのは確実です。

日本のタトゥーに対する価値観とは?

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タイフーンの影響により、風の強い雨が降っていますね。。
傘が意味をなさないこういう雨は嫌いです。。

 

ただ雨の日に外に出ず、家の中でゲームをやってたりする環境は好きです。
モリタです。

 

とは言いつつも雨が降らなければそれはそれで水不足の危機になるわけでして・・
なんの話ですか一体。

 

皆さんは「タトゥー」についてどう思われますか??
タレントのりゅうちぇるさんが家族の名前をタトゥーを公開したところ、一部から批判が巻き起こっているとのことです。
そしてそういった風潮に対し、脳科学者の茂木健一郎さんが批判意見を叫んでいるとのこと。

 

確かに、日本では昔から「入れ墨=ヤクザ関係者」のようなイメージがあり、いまでもその名残により「入れ墨の方入室禁止」の温泉やプール施設は数多くあります。
また理由としては「親からもらった身体を傷つけて」という意見も多いみたいですね。

 

結論から言うと、僕は「時代にあったルール」に改正すべきだと思ってます。
(常々いっていることですけどね。。)


タトゥーはもはやファッション

タトゥーは今やピアスや服と同じ。ファッションの一部として認知され始めています。
世界ではもちろんのこと、日本ですらそう言う風潮になりつつあります。

 

ただ日本人の本能なのか、自分もやはりタトゥーがバッキバキに入っている人をみると「ちょっと怖いなあ。。。」って思ったりします。
でもじゃあそれだから悪い人って決めつけるのか?って話ですよ。

 

子供の読む本とかでも、大人たちが大事なテーマとしていっているじゃないですか。
「人は見た目じゃないよ」
って。

 

日本人の苦手とする部分かもしれませんが、まずは中身、本質を見ましょう。
古い習慣に縛られすぎるのも日本人の悪いくせですね。
「どうしてダメなのか?」
と言う理由を紙に書いたり、人に説明しようとしてみるとよくわかると思います。

 

そして、身体を傷つけて!って怒っている人。
ピアスや整形もそれに当たると思うんですが。。。違うんでしょうか?
身体にわざと穴や墨を入れると言うのと何が違うのか?
両方とも傷をつけていることに変わりないですよね?

 

なんだかんだそれっぽい理由をつけていますが、結局は「イメージが悪い」からなんだと思います。
正々堂々とそう言う理由で議論して欲しいですね。

 


家族を大切にしている気持ち

今回りゅうちぇるさんは家族の名前をほったとのこと。
海外のサッカー選手にもたくさんいます、家族の名前を入れている人。

 

要はそれだけ強い思いを持っていると言うことでしょう。
だってタトゥーって入れたら落ちないんですよ?
その覚悟まで持って入れているんです。

 

むしろそういった精神論的な話は日本人の大好物のように思うんですがね。。
こういった思想の「ブレ」に対してすごい違和感を感じます。

 

一番そのブレを感じるのは報道関係なわけですが。。。
まあ企業のトップでもわからずやの親父とかいますけどね。

 

ただ一貫性がないと納得できるもんも出来ないもんです。
逆に「俺は嫌いだからダメだ」って一貫して貫いてくれる方がまだ納得しちゃいますよ。。


まとめ

様々書いてきましたが、念のためお伝えすると、タトゥーを推奨しているわけではありません。
僕は入れたくないですw

ただ考え方として変えて行くべきではないのかなとは感じています。

あれはダメ、これはダメでは人間として弱くなって行きますよ。
って思います。

起死回生の発見

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暑かったり寒かったり気温が落ち着かないので、自分の体調も落ち着かないです。
モリタです。

 

夏が終わってしまうのは個人的にさみしいのですが、
はよどっちかにしてくれー!とは思いますね。。。

 

みなさんスマホは持っていますか?
スマホでなくとも携帯電話持ってますか?

 

このご時世ほとんどの人が個人用の携帯電話は持っていることと思います。

 

お恥ずかしながら財政難にて携帯電話が止められていた時期がありまして、
その時に感じたことをお話ししますね。


一旦Wi-fi環境から離れてしまうと誰とも連絡が取れないという不安

携帯電話回線も止められ、インターネット環境も止められてしまうほどの事態。
僕には会社でのWi-fi環境と、街のフリーWi-fiスポットしかネットに繋げられる環境がありませんでした。

 

やはり一番に不安になるのが「誰かから連絡来たりしてしまわないだろうか!」という不安です。
しかし現代ではスマホという媒体は連絡手段以上に「コンテンツ」用媒体としての機能が大部分が占めています。
そうです、連絡取れないということも不安でハラハラしましたが、何より何も暇つぶしが出来ないんです。

 

普段からYoutube、hulu、ネットなどを生きがいとしていた僕にとっては大問題でした。
気づかないうちにこんなに依存したんだなと。。。

 

正直家のネット環境が止まるだけでしたら、キャリア回線でどうにかなるかと思うんですが、
両方ないともう何も出来ません。

この時期僕は、史上最大の暇に襲われることになりました。

 

時間があることによる変化

さあどうやって過ごしましょう。
テレビはありますが、テレビは嫌いなんです。
なので、このときも全く見る気にはなりません。
ゲームでもしようか。でもすぐにやめたくなってしまいます。
(目新しいゲームはなかったので。。)

 

そんな時、なんとなくぼーっと過ごしていました。
でもそういう時って何も考えてないんじゃなくて、
無意識に色々考えてるんですよね。

 

何を考えてたかと聞かれたら覚えてないくらいなんですが、
何かしら思考を巡らせてるんです。

 

悩み事だったり、何食べたいなあとか、どこに旅行行きたいなあとか、だったらあれやらなきゃなあとか。
色々です。

 

でもそういった時間がある分、不思議と頭の整理整頓が毎日うまく出来てたように感じます。
なんでこんな変化が起こったのか?

 

現代人は見えないいろんな縛りに縛られているのかもしれません。
それはおそらく自分でも気づかないうちに。

 

例えば今はスマホを個人で持つ時代ですので、仕事の電話もある意味いつ何時でも受け取ることが出来てしまいます。
昔は電話は一家に一台、または仕事用は会社にしかなかったりで、個人的な範疇には入って来にくかったと思います。

 

また、趣味としてのコンテンツ。特にテレビなどは今はスマホで好きな時間、好きなタイミングで見ることが出来ますが、昔はそんなものもなく、決められたプログラムで見るということが主流でした。

 

今はいつ何時でも世界と繋がれる仕組みのある世の中だからこそ、それに縛られているのかもしれません。
それにより頭の中の整理をする時間を自分が意図的に取らなければならないようになっているんだと思います。

 

自分は仕事を始める前に必ずタスクの整理をしてから始めるようにしています。
これと一緒で、人間の頭の中も一度は落ち着いて整理するべきだと思うんです。

 

ぼんやりと考え事を巡らす時間というのはとても大切なんだなと感じました。

 

 

まとめ

今回は自分の不徳の致すところにより発生した事象でしたが、
ある意味ちょっとよかったなって思う部分がありました。

毎分毎秒あれやってこれやって。
その中で眠る時以外は落ち着くことがなく、趣味だからと言ってやすみなく続けていても、
体はもしかしたら擦り減っていっているのかなと思いました。

たまにはなーんにもせず、
ゆっくりとした時を過ごしてみるのも良いかもしれません。

やらなきゃいけないのに出来ない。そんな気持ちの解決方法!

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扁桃腺が痛く昨日はおかゆしか食べていません。。。モリタです。

みなさんは体調大丈夫ですか?
今喉の風邪が流行っていますが、見事にクリーンヒットしてしまいました。。

 

私用で金曜日・土曜日と長野へ行ったのですが、
寒い中、短パンでいたことが悪かったのでしょう。。しかも風邪引いてたし。。。

 

とにかくまた気温がコロコロと変わりやすいようですので、みなさんも体調管理にはお気をつけください。。

 

さて今回ですが、「アクラシア」という言葉をご存知でしょうか?
古代ギリシャの哲学者アリストテレスが提唱した問題で、「わかってはいるんだが、、、出来ない!」という心理現象のことです。
「締め切り近いからやらなくてはならないんだけど、、、今日は気分転換で出かけよう!」ということが毎日続く、あれです。

 

誰しもあるでしょう、人間ならば。
それでも自制の出来る人はきちんと管理し、しっかりと物事をこなすと思うんですが、
大半の人は上手くいかずあわあわすることが多いのではないでしょうか?

 

もちろん僕も例に漏れずです。。

 

今回はそんな「アクラシア問題」についてです。
とは言ってもそんな難しい話ではない(出来ない)ですけどね。


出来ない理由から逃げない

自分は「人のために」を一番に考えて行動してしまいます。
こういうと偽善者っぽいんですが、結局は「人に嫌われたくない」という一心でそういう行動に出てしまうんだと理解しています。

 

その”何か”を”出来ない”理由を何かになすりつける。
いわゆる「外部要因」に対して設定することがよくあります。
それは人間的にはそっちの方が楽だからだと思います。
いわば、「〜のせいで自分は〜が出来ない」という理由付けにしてしまえば、
「自分は悪くない=変わらなくて良い」
ということになるからです。

 

僕も昔はよく「〜の誕生日でさあ、金がないんだよ〜」とかいう類の愚痴を言いながらお金を借りたりしていました。
でももっと大元を辿ればそんな分かりきっていた用事のために自制しきれていない自分を反省すべき、ということがわかります。

 

世の中には明らかに原因が外部要因であることもありますが、外部要因とは改善することは不可能に近い、あるいはとても難しいことです。
それに時間を割くぐらいであれば内部要因を、自分で出来る何かを変えるしかないと思います。

・・・・おっと、、、、また話がそれました(汗)
この件はまた別の機会にお話ししましょう。

 

脱線しましたが、要は大元を顧みると自分の管理不足が原因なことってよーーーくあります。
まずはそれを認めましょう。

 

あなたはあなたが思っているほどちゃんとしていません。

 

そう思った方が上手くいく気もします。
特に僕は褒められると調子に乗るタイプですし、いまでも褒めて頂けることがあると、
「何てめえが調子に乗ってんだ。まともに生きてから物言え。」と戒めています。。。
(やり過ぎな気もしますが。。。これくらいしないと失敗してきたので。。)

 

正しい原因がわからないと(認めないと)解決も何もないと思いますので、
まずは自己分析をしっかりと、正しく行うことが大事だと思います。


気合いや精神論では解決出来ない

そして散々書いてきましたが、これは人間の本質の問題です。
日本国民が大好きな「気合い」や「頑張り」などで解決できる人はかなり少ないと思います。

 

これを解決するには「強制的にそうしなければならないシステムを作る」という方法が何よりだと思ってます。
システム。。。と言っても機械的な何かじゃないですよ?
仕組みです。

 

以前お世話になっていた会社の社長にも、何か問題を起こしてしまった時に口を酸っぱくして言われました。
当時はわからなかった部分もありますが、いまならわかります。

 

その仕組みをいくつか紹介されています。
その中でも自分が一番「これだ!」と思ったのが「コミットメントデバイス」です。
コミットメントデバイスとは、要は「誘惑の根源を強制的に断ち切る」ことです。

 

究極論ですが、ゲームが大好きでついついやってしまう人は「ゲーム機を捨てる」、スマホをいじってしまう人は「スマホをだれかに鍵をかけた金庫にしまってもらう」などです。
もう絶対その誘惑を発生させない強制的な仕組みです。

 

でも僕はこのくらいしなければならないんじゃないかってくらい自分に甘いんで。。。
そういう方は是非実行をお勧めします。。。

 

ボディービルダーの方が「どうしてそんなに節制できるのか?」という質問に対して、「もう逃げられない目標を作る(その方の場合は大会に出る)」と仰っていました。
これも一つの手段だと思います。
明確な目標を作るってやつです。
でも僕には向いていない気がしましたので、、、
なぜなら全力でやらなくても良い方法を探してしまいそうで。。。(どこまでクズ人間なんだ。。。)

 

と、前述した通り、解決方法はまだまだあるとは思いますが、
「自分に適した解決法」、そして「絶対やり切る方法」を選定することが大事だと思います。


人間だから仕方ないと思いつつも、自分が動かなきゃ何も変わらない

ここに色々と書きましたが、結局このことを知っただけでは何も変わりません。
「仕組み」とは言いましたが、始めるには自分の意思・行動が必要です。
そもそも「変わらない」という選択肢もあるんです。

 

その第一歩を踏み出せるのは自分自身なので、これは自分が頑張る他ありません。
他人に決断を任せたり、背中を押したりしてもらうことは出来ても、最終的に足を動かす、腰をあげるのはあなたです。
僕もそうでしたが、色々御託を並べても根底に「めんどくさい」、「変わらない」という意思があると、何も起きません。

 

全然上手くいっている気がしませんが、僕も僕なりに蠢いて頑張っています。

 

他人は他人です。
よーく自分を観察してみましょう。


まとめ

人間やってると切っても切り離せないような問題ですね。。
ただやらなくてはならないものをやらないでおくと、「やらない癖」がついていきます。
実体験です(キリ)
後で後悔しても、、、遅いんですよ。
ただ上手くいっている時の充実感はとてもあります。
上手くいってないことを知ったからわかる感情なのかもしれませんが、、、

 

いま「上手くいかないなあ」とか、「自分て全然ダメだなあ」て悩んでいる方は、
少し見直してみてはいかがですか?

「流行り」に溺れたくない男の独り言

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外は暑い、そして屋内に入ると寒い。
そんな夏の風物詩にやられて風をひきかけているモリタです。

 

喉がいてえよ。。。。

 

最近Twitterでみた記事で、
・40代のバンドTは品位がない
・フェスファッション、ありきたりなTシャツファッションになってない?
のようなものが世に出て、軽く炎上してました。


思ったんですが、「あなたはこうなってない!?〜しない方法!」、「〜はだめ!絶対〜してはいけない理由」みたいな記事系統。
これ系の記事を見ると読み手の知識や引き出しを増やすっていうよりも、誘導尋問のようにただ1つの答えに導いているようにしか見えないんですよね。。

 

広告収入の流れのせいなのかもしれませんが。。。
ただこれじゃあ何もよくなって行かないなんて思うんです。


日本人はみんな同じ格好をしている

以前テレビにフランスのファッションデザイナー?の方が出てらっしゃいまして、その方が、
「日本では右を見ても左を見ても、みんな同じ格好をしている。これにはとても驚きました。」
と言っていたんです。

 

これにはウンウンと思わず頷いてしまいました。

 

言われなくても行列にきちんと並んだりするように、日本人は世界で見ても有数の集団行動の優れた国民だと言われています。
それはとても良いことでもありますが、それも度が過ぎてしまい、
「人と違うことは悪いこと」
という節があることはとても残念に思います。

 

以前から僕は流行というものに違和感を感じていました。
それはたくさんの人間がいるのに、没個性を全うしようとしているその風潮に違和感を感じているんだと思います。

 

個性的であることを褒める放送をしているテレビ局の裏側で、流行に乗り遅れてはだめ、今年の夏のトレンドかこれ!という放送がされている。
いわば、個性的なことは素晴らしい、でもみんながしてるファッションはこれだから、これを着ようね、って言ってるようなもんじゃないですか?

 

いろんな意見があっての番組でもあると思いますので、一概にそうだとは言いにくいですが、
やはりストレートにその情報を「受信」、「実行」するのはナンセンスだと感じています。

 


正しい受け取り方

ではどう受け取るべきなのか?
それはやはり「個性」を使うべきだと思います。

 

メディア等の媒体から得た情報はあくまでも1情報なのであって、それが正解ではないという考え方。
ひいてはそれがメインストリームがただの大きい川の流れであって、他にも小さな川がいくつもあること。
それが同じ川であることに変わりないこと。
という認識を持つことのように感じます。

 

マイノリティな意見を持っている人は、「変わり者」なのではなく、冒険者です。
みんなが大挙して押し寄せている主流は道も開けていて、見通しも良くて。
何より安全が保障されているため、とても滞在しやすいでしょう。

 

しかしそれ一つだけが川と認められるかと言えばそうではないですよね?
あくまでも、川の一つです。

 

BBQ出来るような大きな川が好きな方もいれば、秘境のような場所に流れる川が好きな人もいるでしょう。
それと同じようなものだと思います。

 

人に多く目にされている媒体での情報なので、錯覚してしまいがちですが、
どんな情報を受信したとしても一度自分というフィルターを通して見ることが一番正しい受け取り方なのではないかと思います。

 


そもそもメディア関連情報のバックにはビジネスがある

当然ですが、テレビ、新聞、SNS
大きな媒体になればなるほどその背景にはビジネスがあります。

 

要は、「お金になるゴールに向けて誘導していく」ということが、
そういった媒体の大きなゴールになるわけです。

 

別に悪いことではありません。
それがビジネスです。

 

しかしながら、よく見かける「あれはだめ、これもだめ、全部だめ」のような文章が多いと、
多様性は失われていくのはないかと危惧しています。

 

そう、先ほど紹介したフランスのファッションデザイナーの方の言葉の真意は、
こうした流れによって必然的に生まれたものなのではないかと思います。
これって、、、ちょっと恐怖すら感じます。

 

よくバレンタインのチョコをあげる風習は、企業による陰謀、という説がありますが、
それですよね。本当に。

 

「流行」や「正解」が意図的に操作されているかもしれない。
そう思わざるを得ないです。

 

自由に生きているつもりが大きな川の流れに流されていたなんてシャレになりません。

それに抗うためには確固たる「自分」というものを持っている必要があると思います。

 

まとめ

なんだか熱くなり過ぎて支離滅裂な文章になってしまっている気がしますが。。。
でもやはり個性が死んでいくのは見たくないです。

 

今日こんな言葉を聞きました。
「本当におしゃれな人って、、もっと寛容な気がする」
一番初めに紹介した、「バンドT」を批判している件を見ての意見です。

 

そう思います。

 

そんなこと言うのはだめだ!なんて言う気はさらさらありません。
ただ、もっと広い心を持って、視野を広げて。
それを自分の中にうまく吸収することがとても重要に感じます。

 

例え今あなたが人と違うと思うことを気に病んでたりするのであれば、それはまだ誰も気づいていないだけのとても大きな主流の源泉なのかもしれません。

 

決して怖がらずに、でも無理のない程度で表に出してみて下さい。

ROCK IN JAPAN FESTIVALのアクセスツアーに参加してみた〜ツアーの過ごし方編〜

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こんにちわ、モリタユウスケです!

 

さてさて、前回お伝えしました通り、僕は
8/4,8/5,8/11,8/12
と国内最大級の野外音楽フェス、ROCK IN JAPAN FESTIVAL2018に行ってきました!

 

その際「アクセスツアー」というバスで会場まで行き来する交通手段を利用して行ってきまして、
そのメリット・デメリットをつらつらと書きました。

今回は実際にどのような流れでツアーを過ごしたのか?
順を追ってご紹介します!


往路

まず朝、往路の出発ですが、僕は新宿発着の便を利用しました。
実際には全国主要都市のプランがあるみたいです。
(今年のもので終了したプランですが、参考になれば。。。:

ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2018 JTBオフィシャルツアー

 

説明を見る限り、新宿発は「6:30」発となっています。
最終案内にも往路最終便は6:30となっていたと思いますが、実際に記述されていた集合時間は6:00厳守でした。

 

ですので余裕を持って5:30くらいには新宿駅についてました。

 

集合場所は工学院大学の横です。
新宿駅西口から徒歩10分ないくらいですかね?
信号を渡らなければならないので、体感ではそのくらいでした。

 

たくさんの人が集まっている場所へ行くと、
どんどん前へ案内され、あっという間に列に並んでいました。
その列の人数がバスの座席満員になりますと、乗車するバスまで案内され、
乗車ドアの前で各自チケットを確認し、それから順々に乗車です。

 

そうです。ここで前回記述した、複数人の場合は座席が遠くなるのか否か問題が発生します。
ROCK IN JAPAN FESTIVALは2週に跨って行いますので、今回アクセスツアーは2度参加したのですが、
1回目はセーフだったものの、2回目はなんとかなり遠い席に。。。。
みなさんも心して参加してください。

 

さてここで注意したいのは、
ツアーチケットには3箇所名前を書くところがあるのですが、これ事前に書いておいてください。
バスに乗るための列に並ぼうとすると「チケットに記名をお願いいたしまーす!」とのコールとともにボールペンなど置いてある記述スペースに案内され、書かされます。
ですので、書いてないと並べません。

 

結構書いてない人いましたね、やっぱり。
僕は事前に書いておきましたので、非常にスムーズでした。

 

乗車までの流れですが、総合してとてもスムーズだった印象です。
(ただスタッフさんは結構慣れていないようでバタバタしていましたけどね。。)
座席問題を犠牲にしているだけあって、これだけスムーズであればストレスもなく乗車は出来ますね。


車中

さて、車中ですが、ごくごく普通の高速バスっていう感じです。
あ、先ほど触れていなかったですが、荷物系は一応預かってくれます。
(よく見る、大型バスの車体下部に荷物入れるパターンですね。)
資料の案内には「あまり大きな荷物の場合は乗車拒否をさせていただく場合はあります」的なことを書いてありましたが、
スーツケースですら預かってくれていたので、大概のものは大丈夫でしょう。
車中で使用しそうなものだけ手元に残して置きましょうね。
あと座席の上にも棚はあります。

 

設備に関しては結構乗車するバスで左右されます。
僕が乗車したバスでの違いはこんな感じです。

・テーブルの有/無
・足置きの有/無
wi-fiの有/無

 

びっくりしたのはwi-fiがあることでした!
ないバスもありましたが、終演後ホテルに向かうバスには必ずついていましたね。
まあ、、、電波状況は良いとは言えなかったっぽいですが、、、
それでも便利でしたね。

 

あと車内の気温ですが、
やはり寒がりの方にはきついようです。
何か羽織るものを持っていきましょう。

 

そして食事。
もちろんOKですので、常識の範囲内で持ち込みましょう。
常識の範囲内ですよ!!

 

あと当然ですが、車内ではシートベルト必須です!
必ずしましょうね。

 

さてトイレ休憩ですが、
道路状況によって寄るSA/PAは変わるようです。
1週目はとてもスムーズに進みましたので、会場であるひたちなかにそこそこ近い場所での休憩でしたが、
2週目は混み混みでして。。。その場合はもう少し手前での休憩でした。
状況によって判断しているみたいですね。

 

ただ回数は1回なことに変わりはありませんでした。

 

道路状況によって運転手さん、ガイドさんがあれこれ相談しながら道を決めて進み、
1週目は8:30くらい、2週目はかなり渋滞もあったので、、、確か9:30くらいに会場についたと思います。

 

さあ、ここからは自由にROCK IN JAPAN FESTIVALを堪能しましょう!

 


ホテルまでの道

一日中堪能し、疲れ果てた僕ら。
その日のトリを見たあと、8/4,8/11は次の日もロッキンに参戦のため、ホテルへ宿泊します。

 

僕らは今回ツアーへの申し込みが遅く、通常募集の後に行われた「増発」ツアーの申し込みでした。
なので、多分ホテルは少し遠めだったと思います。
(思います。。と言っているのは通常時期申し込みのホテルを詳しく調べていないからです。。)

 

20:00から乗車可能で、実際我々のホテルまではGoogleMap先生に聞くと1時間ちょっととかだったので、
トリを見終わった19:40くらいから急いでクロークに向かい、会場を出る準備をしました。

 

ちなみに朝来た時に降車した駐車場とは異なった駐車場が集合場所なので、気をつけましょう。
PARK STAGE前クロークの横の南口?のゲートから出ると目の前がバスターミナルなので、ツアー参加でホテルプランの方は、その日のクロークはPARK STAGE前にしておくと帰りがとっても楽です。

 

さあ、僕らもいそいそと20時すぎくらいにゲートを出て、バスを探します。

・・・・・わからん!!!

そう、もちろん各地に帰るバスもありますので、案内図があるとは言え結構最初は迷いました。
ただ、周辺にもちろんスタッフの方もいますので、わからない場合は遠慮せず聞きましょう。

 

案内された場所へこれまたいそいそと歩いていき(結構遠い。。。)、
そこで自分の目的地方面のスタッフさんへ、宿泊予定のホテル名と名前を伝えます。

 

そうすると「このバスです。荷物を預ける場合は預けてから、ご乗車ください。満員になり次第出発です。」と案内されました。
そう。。。満員にならないと出発しないです。
なので、結構タイミングが重要だったりします。
とは言え、ある程度揃ったら(というか紙を見てるので、そのバスに乗り込むべき人が集まったら?)出発っていうイメージでしたね。

 

ホテル行きのバスはトイレ休憩はありません。
また、会場周辺には何もないです。。
なので、食べ物、飲み物は会場内で調達しておくか、前日などに用意しておきましょう!
結構最初困りました。。。

 

2つのホテル目的で行きますので、1件目のホテルに止まった後、2件目のホテルへ向かいます。
降車したらホテルのフロントに名前を伝え、カギを受け取り、チェックイン完了です。

次の日も早いので、早々にシャワーを浴び眠りにつきました。。

 

ホテルから会場へ

我々の出発時間は前半・後半ともに7:00でした。
朝ももう片方のホテルを経由して来ますので、宿泊するホテルによって変わると思います。

 

ちなみに宿泊ホテルによっては朝食無料のところもあります。
が、当然時間が間に合いませんw
と言いますか、なしのプランなので無理なのかな?

 

ちょっと審議は確かめていませんが、
朝食も必要な方は前日などに買っておいた方が良いでしょう。

 

さて、無事に間に合うとあとは乗っているだけです。
楽しみに向けて僕は爆睡しましたw

 


新宿への帰還

さて2日目も大いに堪能しました!
残念ですが、TOKYOへ戻る時です。

 

終演後、機能と同じくいそいそとバスへ向かいます。
今回は新宿行きなので、昨日とは違ったバス乗り場へ向かいます。

 

今回は往路の時と同じく、最初に満員になるまで整列で待ちます。
ドキドキしましたね、、、離れ離れになるんでないかと。。
結果的には大丈夫でしたが、結構危なかったです。。。
やはりここは改善してほしいなあ。。。

 

ホテル行きと違って、長い長い旅ですからね。
やはり思い出など話しながら帰りたいもんです。

 

復路のバスもトイレ休憩はありません。
ので、しっかり済ませてから乗りましょう!

 

前回のブログにも書きましたが、高速に乗るまでが非常にスムーズなので、
思ったよりも早く新宿に着きました。
早くて1時間30分くらいで着きましたかね。

さあまた明日からは来年の開催に向けて頑張って働くのみです!


まとめ

以上のような流れで過ごしました!
人によってはやはり好き嫌いが分かれるとは思います。
自分にあった楽しみ方をしてください。
これが何かの参考になれば幸いです!

さて次回は普通に感想など書いて行きましょうかね!